表現と文章

KINDさんのエントリから。

http://www.doblog.com/weblog/myblog/4053/302354#302354
言語は経験のすべてを表現するにはつねに「不足」であること。
そして第二に、それと同じくらい言語は経験に対してつねに「過剰」であること。

たしか上野千鶴子の言葉だったでしょうか。ユーロの準々決勝が3試合終わりましたが、いずれの試合に関してもそういう言葉しか思い浮かびません。胸が一杯になるような試合が多すぎるんですよね。

言葉が陳腐に思えてくる。ポルトガルイングランド、オランダ対スウェーデンの試合は特にそう思えてきます。いくら言葉を尽くしたところで、たとえテレビを通じたものとはいえ、あの圧倒的な試合に胸を揺さぶられた「経験」をいかほど表現できようか。どれほど言葉を尽くしても、湖の水をひしゃくで掬うが如く、不足である。言葉は過剰にあれども、常に不足である。そう思えてならないんですね。

全くkindさんのおっしゃられる通りです。私はポルトガルイングランド戦後、自分のブログを立ち上げて、どう何をかけばよいのか途方にくれました。自分の文章力がしょっぱいのもありますが、やはり感動という経験が言語を凌駕してしまっていた。そうすると中途半端な文章を事実列記するまでにとどめてしまう。いかんとはいえ、今の自分そして、この状況に対して一人の人間というのはあまりに無力かもとうそぶいてみたりする。