フェアプレーとラフプレーの考察

下記ネタを書いていて、思いつく事があったので別件にて補足。
全てのサッカー試合がフェアプレーであったなら本当に喜ばしいことだ。しかし、実際にはラフプレーは存在するし、なくならない。これも仕方のない事だと思う。
だがそこで、自分達もラフプレーやマリーシアに手を出すOR利用した上での試合運びを実行するのかという事が重要だと思う。
ちょっと前にオリンピック代表での、バーレーンマリーシアが目に付き、またオマーンも狡猾以上といえる時間稼ぎをしたこと、それに対するダバディ氏のブログ・反論が話題になった。
私はこれに対しては以下の例を引用した上で述べていきたい。

http://www.fcjapan.co.jp/mail_magazine/news/feature_view.php3?id=362&m=0
バーレーンの選手のような振る舞いは見苦しいものであり、サッカーのためにも、テレビを見ている何百万の若者のためにもならない。

かつてエスパルスレイソルで監督を務めたスティーブ・ペリマンはこの戦術が嫌いで、この戦術を行っている選手とそのコーチは、「自分たちにはフェアな試合をして勝つ能力がないと自覚しているのを露呈しているだけである」といつも言っていたものだ。

その通りである。
勝つためなら何をしてもいい。私はプロで勝つ事が仕事だから。といってしまえば、何でもまかりとおるし審判にとられなければOKというのは、サッカー・ひいてはスポーツ・人間としての精神に即してくる問題と思う。大げさかもしれないが間違っていないと思う。
だから、我々日本のサッカーはフェアプレーという観点からも誇られるべきなのだ。オマーン戦で明らかな時間稼ぎをされていたなか、チャンスにも関わらずボールを外に蹴り出した中田の例を見るように。
だが、私はこれに補足したいのがマリーシアを知って試合を進めるのと、マリーシアをつっぱねてフェアプレーだけに走るのは別問題である。
ラフプレーをしない事。これは最大限に優先される事だが、プロとして勝つという点も含めていえば、マリーシア・ラフプレーも知っているが、あえてしない。こうでなければ、相手に対応できない。
言い換えると、麻雀で積み込みは知っているがしない。しかし、知らないと相手がやってきた時に「イカサマだ!」とは言えないまま終わってしまう。(麻雀を知らない人にはわかりにくいかな。)勝つためのあらゆる方法を知っているが正当な方法で勝負を挑む。これが粋だと思う。
その点でトルシエ氏が代表にマリーシアを具体化して浸透させた事が有意義なのだ。
先の例で中田がボールを蹴り出した時、サントスが中田に対して不快感を示していたが、フェアプレーとマリーシアの認識に基づくサッカー観の違いがそこに現れていたと私は思う。(サントスの言いたい事も否定できない。だからサッカー観の違いとして、誤解のないよう補足しておく。)
プレミアリーグを見ていて、いいプレーがあると敵味方関係なく拍手が起きる。ああいう光景が本当のサッカー文化として日本に根付く日が楽しみだ。